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ジョアシャン・ミュラの生涯

イケメンで知識もあり仕事もでき…。
大変すばらしい人材です。

仕官
旅籠屋を営む傍らタレーラン家の不動産管理人でもあったピエール・ミュラの末っ子(12人兄弟だった)として生まれたジョアシャン・ミュラは、両親の希望で聖職者になるため神学校に入学(このとき後々まで親友となるベシェールと出会っている)するが全く不向きで、1787年に女性と駆け落ちして放校された。無一文で放浪していた時にたまたま出くわした騎兵中隊に飛び入りで参加したことから軍歴が始まり、2年ほどで軍曹にまで出世するが一時帰郷して小間物屋を開く。風采が良く人気者だったため郷里のジャコバン派としてかなり有名になったが、やがて軍に復帰し浮沈を繰り返しつつ若手の騎兵指揮官として頭角を現していった。1792年には少尉になっているが、この頃士官選出は兵士の選挙によっていたので、このことは彼が部隊でも人気者だったことを示している。


台頭
1795年のヴァンデミエールの反乱においてパリ市内での大砲奪取任務の参加者を募集していたナポレオン・ボナパルト(当時バラスの副官だった)と出会い、任務に志願して見事成功させ王党派の反乱鎮圧に貢献する。ナポレオンはこの功績で脚光を浴びることとなり、ミュラとの出会いは二人にとって大きな転機となった。その後ナポレオンのイタリア遠征に自ら志願して参加、エジプト遠征では負傷するものの見事な働きを見せ、ナポレオンの側近として、また優秀な騎兵指揮官として名声を確立させた。1800年にはナポレオンの妹カロリーヌと結婚、名実共にナポレオン家の一員となる。1804年には元帥に昇進。数々の戦いでその騎兵指揮官としての能力を存分に発揮し、ナポレオンをして「世界最高の騎兵」と賞賛せしめたが、高位の軍司令官としては判断力、決断力共に欠け、元帥昇進後あたりから失策が目立ち始める。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2008年01月11日 18:23に投稿されたエントリーのページです。

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